1995年1月17日、早朝物凄く揺れて今まで経験した事がない地震が襲いました。自分の近所が震源?と思うくらいの揺れで幸い家族は無事でしたが情けない事に突然の恐怖で思いっきりウェと吐き気がおそい何やってるだ俺こんな大変な時に本当に情けないと心の底から感じた次第です。
ライフラインは途切れてなかったので、テレビを見て目を疑いました。神戸が終わったと思いました。今まで見たことのない光景に心が痛くなりました。とりあえず出勤に出た父親も帰ってきてハーバーハイウェイが落ちてるから会社に行けないとの事、この頃私は、電気工事の見習いで親方と仕事してましたが連絡がありしばらく自宅待機してくださいと言われました。
また、ここで私の選択は仕事辞めるという事を選んでしまいました。
職場も他の職人さんが気性が荒くいつも怒られてばかりで、仕事内容は仮設電源工事、地下埋設工事(穴掘り)に関わる事ばかり、私自身は建物のコンセントや電灯を取り付ける内容と思い込んでいましたのでとても続けられないと思い辞めるタイミングが欲しかった時で親にも言いやすい時期に重なった事=辞めるということになります。
この頃から心の不安がとても強くなりました。友達の弟さんが建物が崩れて圧死されてしまい仏さまのそばにいると自分がなってもおかしくない事だと、他人事みたいに思えなくなり死の恐怖というのを感じた事を思い出します。
20代自分が死ぬなんて考えないじゃないですか?でも、突然、自分より若い人が亡くなるということを見てしまうとやっぱりすごく辛かったですね、友達になんて声をかければいいのかさっぱり浮かばない。文章を書きながら頭に思い出してしまいました。
この大震災はこれからの私の人生が大きく変化してしまう出来事となりました。
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