仕事を辞めてから、正社員で仕事を探さなくなっていました。神戸の就職も氷河期になり条件にあう職種が見つからず友達から紹介してもらいアルバイトとして働きだしました。母親がてんかん持ちの為、病院に付き添う必要がありました。平日に休む必要がありそこのバイト先は水曜日が休みで都合が良かった事もありました。ここまで読んでいただいている方は不思議に思われていると思ってまして、「電車・バス乗れないのに交通手段は?」この答えは車を運転することが出来た事、これが生きていくことが出来る大きな支えになりました。何も出来ない自分が車だけは乗れて移動することができました。私にとって大きなラッキーでした。
母親も病院連れていきながら、バイト生活も5年以上続いていました。年齢も30代になり父親が就職しろとうるさくて病気の事も言いたくないし、長男である私は誰が母親の病院や買い物どうするのとか、父親が休み取りにくい会社と分かっていた私は自分の病気を言うべきかとても悩んだ時期でした。
コメント